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2006年01月18日

できちゃった婚は【授かり婚】

 い換えることでイメージが変わるよね

 …っていう話し。


- - -

言い換えることでイメージは変わる。



マイナスイメージがプラスになったり、
もちろん、その逆だってある。


そして、言うまでもなく、
言い換えることで、
需要のないところに需要が起きたりもする。



言葉っていうか、くくり方っていうか、
ボクはときどき「言葉は生き物」なんだなって思う。


ある日突然、生きているモノのように動き出すっていうカンジ。



一方で、売春行為が「援交(援助交際)」って言い換えられたコトによる
社会的影響というのも凄いよね、今さらだけれど。


曖昧にするから悪いことでも良くみえたり、
問題の本質がボヤけてしまうこともある。


それも言葉だよね。


でもさ、嘆いてもしょうがないんだよね、
こういう時代なのさ。


「じゃ、これを知った上でどうするの?」って
前向きに受け止めた方が、精神衛生上、楽だし、
それが今ドキのビジネスのスタンスだと思う。



ちょっと違った角度からだと、

博報堂生活総合研究所の「10代男の子の意識調査」
− 『失われた10年』に、育った男の子の意識 −(参考リンク
っていうのをみてみると、

10代の男の子たちが求めているスキルっていうのは、
「社交性」であることがわかる。



社交性のスキルとはつまり、
どんな相手でも併せることが可能な自分になることだし、
自分を上手に表現できる能力ってこと。


「コミュニケーションの時代」と言われて久しいけれど、
時代に適合したコミュニケーションを意識するって、
とても重要なことだし、
広告業界には最も求められる感覚なんだと思うけれど、

平均で15才から携帯電話を持ち始めた彼らにとって、
それはもはや、誰に教えられるわけでもなく意識しているのががよく分かる。



その場その場にあわせ、
手を換え品を換えてコミュニケートする能力。


本当に大変な時代になったんだと思う。



でも、
雨が降ったら晴天をうらやんで嘆くのではなく、
傘をさすことが当たり前のように…、

「なぜ雨が降るんだろう」って考えているうちに
風邪を引いちゃったら意味がないように…、


ボクはむしろ雨を楽しんだり、傘を振り回したりしながら、
どんな天気でも楽しんでいけるような努力は怠りたくないナーって思うワケです。


言葉ひとつ。


これもまたコミュニケーション。



記事参考リンク:
授かり婚
「できちゃった婚」商戦拡大…ドレス・保険も妊婦向け
できちゃった婚 需要取り込め



posted by 石山城 at 18:10 | Comment(4) | TrackBack(0) | Diary / 日記| edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>広告業界には最も求められる感覚なんだと思うけれど、

これ最も基本的なものですよね。

極端な例だと、役所とかインフラ系企業とかで、
どういう立場から誰に向けて語られたのかわからないような
浮遊霊みたいな行き場もなく漂ってるコトバがいっぱいありますよね。

客=サービス対象者に目線を合わせて語るなら、
そういう表現を選択し得ないっていうやつ。

あーいうところが環境問題を語ってるコトバとかは
もうほとんどみんな浮遊霊ですね。
Posted by わき at 2006年01月19日 00:43
言葉でそれが持つ印象が変わるっていう事は、その言葉に対する社会が共有しているイメージがあるということで、それを再確認できますね。

でも、博報堂のデータ処理に一言。親への反抗について「ある」と「少しある」「ほとんどない」「ない」に分けて、25%しか親への反抗がないと結論付けているのは??? 
親への反抗っていうのは、これまでは成長過程で心理的離乳という個としての自立への重要な要素として語られるわけだからちゃんと扱って欲しいわ。通常分けるとしたら、あるかないかでしょう。少しっていう数知りたかったですね・・・

だけど、10代の子が、社会性のスキルが大切だと思うわりに、コミュニケーション能力が落ちていることを感じます。これは人との関係の中で育つものだから、携帯でつながるっていうことと関係性ってことは質が違うのかな?って思いました。

はい、感想ですいません^0^
Posted by ねこ at 2006年01月19日 12:17
>携帯でつながるっていうことと関係性ってことは質が違うのかな?って思いました。

置き換え不能で価値を計れない質にこだわる関係性から、
量的に計ることができる(登録アドレスの数とかメールの受信頻度とか)置き換え可能の量にこだわる関係性になっちゃってるってのはありますよね。

置き換え可能ってのは、相手にとってもそうだから、底が見えない不安を生むわけで、
だから、ますます「関係性」重視なんでしょう。

しょせん、関係質じゃなくて、関係量なんだけど。

大人の世界でも社縁とか地縁とかが壊れてるの見てれば、
子供たちが、関係質...長期的な深い関係に期待してもダメだって捉えてもしかたないのかなとも思うけど。
Posted by わき at 2006年01月19日 13:32
わきさん、ねこさん、コメントありがとうございます。


>>浮遊霊な言葉。

これ、いーですね。「地に足が着いてない」っていうか、むしろ「着きようがない」っていうイメージがぴったりです。


コミュニケーションは、昔では考えられないほど携帯とかネットなど、バーチャルで多面的、多次元的になって来ているのは言うまでもないけれど、その反面、「村社会の崩壊や核家族化」などのように、リアルな多面的シーンは著しく減ってるんですよね。


それは例えば、自分のおじいちゃんやおばあちゃん、親戚や近所のおじさんおばさん、町内会の同世代の子どもたち、、、、などというリアルで多面的なコミュニケーションの接触経験が少ない子どもたちが増えているってことなんだと思います。


また、同様に、リアルな世界しか知らない大人世代も、バーチャルな世界で、リアルと同様の理屈で接触することも、バランスを欠いたコミュニケーションと言えるんでしょうね。


それは、「ここはどういう世界観の元に構成された場所なんだ?」っていう意識を持つか持たないかっていうのは、バーチャルでもリアルでも同じなんだと思いますが。


ということで、「情報収集力と対応力・順応力」が肝で、そこが礎になって、その場に適した言葉が言い換えられたりていくってことなんでしょうね、コミュニケートの方法論として。


あぁ、ぜんぜん、うまく言えませんが、そんなカンジです^^
Posted by 石山城 at 2006年01月19日 15:53
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